涙・涙の「横浜お三伝説」①

南区山王町(ブルーライン「吉野町」駅歩3分 日枝小学校の前)に『お三の宮・日枝神社』があります。

『お三の宮・日枝神社』変な名前でしょう・・・。この『お三の宮』には、涙なしには語れない悲しい

言い伝えがあるのです。

                       ↑ 『お三の宮・日枝神社』

 横浜といえば、港。

そう、歴史上横浜が脚光を浴びたのはペリーが来航した時。

開国することになった幕府は当時、江戸から遠く離れた横浜村を異国との窓口とし

横浜港を開港しました。

 しかし、それよりも250年程昔江戸時代初期、初めて歴史上に横浜が登場します。

 江戸の初期、横浜は山があって川があって海が流れ込んでいる平地の少ない

沼地だらけのところでした。そこを、いろいろな人が埋め立てました。最初が

江戸時代の豪商江戸の材木問屋、吉田勘兵衛(よしだ かんべい)が私財を

投じて今の中区一帯を埋め立てました。

その吉田勘兵衛が一挙に埋め立てようとしましたが工事の途中で豪雨があり

大岡川が氾濫して埋めても埋めても水が入りなかなか工事が進みません。

 そうなんです。

今でこそ大岡川、帷子川、鶴見川の治水が進みました。が、

それでも数年前、横浜駅付近や天王町付近が床上、床下浸水の被害が

あったのは記憶に新しいところですね。

 続きは、また今度・・・・。

投稿日: 作成者: スターライフ スタッフ  カテゴリー: スタッフブログ   パーマリンク